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自衛隊は何してる?

イラク戦争年表

年表目次

1991年 1992年 1997年 1998年
1999年 2000年 2001年 2002年
2003年 2004年 2005年 2006年
2007年 2008年    

イラク戦争年表 - 世界と日本の自衛隊の動き

  世界の動き 日本の自衛隊派遣の動き
1991年年表目次へもどる
1月17日 米軍を中心とした国連多国籍軍、イラクに対して空爆開始(湾岸戦争)  
3月3日 イラクと米国、暫定停戦協定を締結(湾岸戦争終結  
4月26日   自衛隊法第100条5項(国賓等の輸送)を根拠とした政令(空自による難民輸送)に基づき、ペルシャ湾へ海自の掃海部隊を派兵。ペルシャ湾における機雷除去およびその処理を行う(海外公海上へ初めての自衛隊派兵)
1992年年表目次へもどる
6月19日   「国際平和維持活動(PKO)協力法」成立
9月11日   PKO法により、陸自をカンボジアへ派兵。国連カンボジア暫定機構(UNTAC)の指揮下で道路建設、水・燃料の供給、物資輸送などの業務を実施(海外領土への初めての陸自派兵)
※国連平和維持活動(PKO)、難民救援活動、国際緊急援助活動などの活動内容とするPKO法による派兵は、以後、モザンビーク、ルワンダ、ゴラン高原、ホンジュラス、トルコ、東ティモール、アフガニスタン、イラン、タイ、インドネシア、カムチャッカ、パキスタンなどがある。
1997年年表目次へもどる
9月23日   「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」策定
1998年年表目次へもどる
6月12日   「改正PKO協力法」成立(国連平和維持軍(PKF)本体業務への参加凍結解除と派遣自衛隊員の武器使用要件を緩和)
1999年年表目次へもどる
5月28日   「周辺事態法」成立
2000年年表目次へもどる
11月30日   「船舶検査法」成立
2001年年表目次へもどる
9月11日 米国同時多発テロ(9.11事件)  
10月7日 米国、アフガニスタンへの報復攻撃開始(米国の対テロ戦争)  
11月2日   「テロ対策特措法」成立
11月9日   テロ対策特措法により、海自をインド洋に派兵。護衛艦(イージス艦)によるレーダー支援、補給艦による米海軍艦艇等への給油活動を開始。現在も活動を継続(海外公海上への初めてのイージス艦派遣)
2002年年表目次へもどる
1月29日 ブッシュ米大統領、一般教書演説でイラク、イラン、北朝鮮を名指し批判(悪の枢軸発言)  
7月23日 米国と英国がイラクのサダム政権転覆を目的にイラク戦争を開始する前提で、開戦理由について協議  
11月 イラク、国連決議1441により査察を受け入れ、武器申告書を査察団に提出  
2003年年表目次へもどる
1月9日 国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)と国際原子力機関(IAEA)、国連安全保障理事会へ中間評価報告。イラクが国連決議に違反したと疑われるような証拠・痕跡はないと報告  
2月5日 パウエル米国務長官、国連安保理外相級会合で「イラクが核兵器計画を断念したことを示す証拠はない」「フセイン大統領は大量破壊兵器保有を続けるだけでなく、さらに製造しようとしている」と断言。「機密情報」を開示し、盗聴テープや映像などの状況証拠を提示(パウエル報告)  
2月14日 査察団、イラクの武装解除進展を評価しつつも査察が完了しておらず、まだ時間が必要であることを示唆する再報告提出  
3月7日 査察団、2度目の中間報告を公表。米国は査察不十分として、戦争をも辞さないとする新決議を提案。しかしフランス等は「査察は成果を挙げており継続すべき」と主張。途中チリなどが修正案を提示したが、米国は拒否  
3月15日 米国、英国、スペイン3国が大西洋アゾレス諸島で密談。安保理では新決議案が反対多数で否決される見通しとなったため、米国は安保理裁決を避け、独断で開戦に踏み切ることを主張  
3月17日 ブッシュ米大統領、イラクに対してテレビ演説で最後通告。フセイン一族と主要閣僚が48時間以内に国外退去することを命じる。フセイン大統領、徹底抗戦を宣言  
3月18日 小泉首相、ブッシュ米大統領の最後通告演説を受けて記者団に「大量破壊兵器が独裁者やテロリストの手に渡った場合、何十万人という生命が脅かされる。極めて危険なフセイン政権に武装解除の意思がないと断定された以上、米国の武力行使を支持するのが妥当ではないか」と発言  
3月19日 米英軍、空爆「イラクの自由作戦」を開始(イラク戦争開戦)  
3月20日 小泉首相、ブッシュ演説の1時間後に首相官邸記者会見。「米国による武力行使の開始を理解し、支持する」と表明  
4月9日 フセイン政権崩壊。以後の統治を米国防総省・復興人道支援室(ORHA)が行なう  
5月1日 ブッシュ米大統領、大規模戦闘終結宣言。米軍中心の連合国暫定当局(CPA)発足し、復興人道支援室(ORHA)から業務を移行。以後、イラク全土が米英軍の占領下に置かれる  
6月6日   「有事法制三法」(武力攻撃事態対処関連三法)成立
7月13日 イラク統治評議会(CPA下で、新政府が樹立されるまでの大臣・大使の任命や新憲法制定などを行う機関)発足  
7月26日   「イラク特措法」(イラクにおける人道復興支援活動及び安全支援活動の実施に関する特別措置法)成立
8月1日   「イラク特措法」公布・施行
11月29日 在英国大使館参事官と在イラク大使館三等書記官2人がティクリート近郊で移動中襲撃を受け死亡  
12月9日    日本政府、イラク特措法により自衛隊イラク派兵期間を2003年12月15日~2004年12月14日の1年間とする基本計画を決定
12月14日 フセイン大統領、イラク中部ティクリート郊外の民家で拘束  
12月26日   イラク特措法により、空自先遣隊48人がイラクへ出発(戦時下の海外領土へ初の派兵)
2004年年表目次へもどる
1月16日   陸自先遣隊約30名がイラクへ出発
1月22日   空自本隊の第1期派遣部隊110名がクウェートへ出発
1月23日 ディヴィッド・ケイ初代米調査団(ISG)団長、「(大量破壊兵器は)もともと存在しなかった」「われわれはほとんど間違っていた」と発言し、米調査団(ISG)団長を辞任  
1月26日 小泉首相、衆院予算委員会で「(イラクの大量破壊兵器問題は)今、未解決。持っていないとも断定できない。持っているとも断定できない」「日本が(イラク戦争を)支持したのは、今でも正しかったと私は思っております」と発言  
1月28日 ディヴィッド・ケイ氏、米上院軍事委員会の公聴会で2003年3月のイラク侵攻前に米政府のつかんでいたフセイン政権の大量破壊兵器保有の情報が誤りで、イラクに大量破壊兵器はなかったと証言。アルカイダなどテロ組織と旧フセイン政権の協力についても「証拠は見あたらない」と発言。分析を誤った理由の根本的な検証が必要だと指摘  
2月3日 陸自本隊第1陣90名がイラクへ出発(以後、2006年5月出発の第10次復興支援群まで派兵が続いた)  
2月5日 小泉首相、参院イラク有事特別委員会で「過去、イラクは保有し、使用していた事実があった。そして、イラクが持っていないという立証責任を果たしていなかった。だから持っていたと断定しても不思議ではない」と発言  
2月20日   海自、輸送艦と護衛艦をクウェートへ出発
3月18日 ポーランド大統領、「(イラクの大量破壊兵器問題で)わが国はだまされてきた」と発言  
3月19日 小泉首相、記者団に「(だまされたとは)全く思っていません。私はないとは断定できませんね。今でも私はあるとおもっていますよ」と発言  
4月8日   サマワ宿営地に迫撃砲弾のようなものが着弾。イラク日本人3人人質事件発生
4月11日 米軍はファルージャを包囲し、大規模な無差別空爆を開始。600から1,000人以上といわれる住民が殺害される(ファルージャの戦闘)  
4月28日 アブグレイブ刑務所にて米兵のイラク人捕虜虐待事件発覚  
6月2日 イラク暫定政権発足  
6月11日 小泉首相、党首討論で「フセイン大統領が見つかっていないからイラクにフセイン大統領は存在しないということ言えますか? 言えないでしょう。大量破壊兵器も私はいずれ見つかると思う」と発言  
6月14日   「有事法制七法」(国民保護法、米軍行動円滑化法、特定公共施設利用法、改正自衛隊法、捕虜取扱法など7法)成立
6月28日 CPAからイラク暫定政権へ主権移譲。CPAは解散。有志連合軍は国連の多国籍軍へ移行  
7月9日 米上院情報特別委員会(パット・ロバーツ委員長)報告書公表。「(大量破壊兵器開発を続けているとした)米CIAの『国家情報評価書』は、誇張か根本的な情報の裏づけを欠いていた」として、大量破壊兵器の保有と開発計画を否定。フセイン政権による「核開発計画の再編成」や「生物・化学兵器の保有」「攻撃用生物兵器計画の実施」の情報が誤っていたと指摘。もう一つの開戦理由だった国際テロ組織アルカイダとフセイン政権の結びつきも否定  
7月14日 英独立調査委員会(バトラー委員長)報告書公表。大量破壊兵器情報に「重大な欠陥があった」と指摘。特に、2002年9月の英政府文書にあった「イラクは45分で大量破壊兵器の配備が可能」とする情報について「根拠がなく、盛り込まれるべきではなかった」と報告。開戦の道を開いた個々の情報の信憑性を否定  
8月27日 米軍、ファルージャ空爆(10月21日まで間断なく空爆)  
10月6日 イラクの大量破壊兵器に関する調査団(ISG)最終報告で、「(湾岸戦争後の)1991年以降、イラクが核兵器開発を再開し進展させる能力は衰えていた」「91年以降、フセイン(元大統領)が同計画を再開させることを提案した証拠は発見されていない」「放棄された古い科学弾薬が少数発見されたが、イラクは91年に化学兵器を一方的に破壊した」「96年以降にイラクが新たな生物兵器計画を持った直接的な証拠はなかった」。イラク戦争開戦時、イラクが大量破壊兵器を保有せず、開発計画さえもっていなかったことを最終報告  
10月26日 イラクで日本人人質事件が再度発生。4日後に日本人男性1名が遺体で発見  
11月7日 米軍、再びファルージャを包囲、封鎖。2,000人を超える死者を出した(ファルージャの大虐殺)  
12月9日   日本政府、自衛隊イラク派兵を2005年12月14日まで延長することを閣議決定
2005年年表目次へもどる
1月27日 小泉首相、衆院予算委員会で「私も(イラク戦争開戦の)あのころはいずれ見つかるんじゃないかと思っていた。しかし、結果的にはないということ。思いと予想と見込みは外れる場合がある」と発言  
1月30日 イラク国民議会選挙実施  
3月31日 米独立調査委員会、「イラク攻撃前の大量破壊兵器に関する情報のほとんどすべてについて、米情報当局が完全に誤っていたとの結論に達した」と最終報告  
4月28日 イラク移行政府発足(暫定政権は解消)  
10月15日 イラク新憲法草案の是非を問う国民投票実施  
10月25日 国民投票の結果、イラク新憲法承認  
12月8日    日本政府、自衛隊イラク派兵を2006年12月14日まで再延長することを閣議決定
12月14日 ブッシュ米大統領、ワシントン市内での演説で、「(イラクの大量破壊兵器疑惑に関する)情報の多くが結果として誤っていたのは事実」「イラク戦争に踏み切った決断に責任をもっている」と述べる。しかし、開戦の決断は正しかったと強調  
12月15日 新憲法の下でのイラク国民議会選挙実施  
2006年年表目次へもどる
2月2日 小泉首相、参院予算委員会で「大量破壊兵器があると想定するには、あの当時不思議ではない」「(イラク戦争支持は)これは正しい決定だと今でも思っております」と発言  
3月16日 初の本格議会となるイラク国民議会開催。しかし各派閥間の対立により開会30分で休会  
4月22日 イラク国民議会(連邦議会)が再開  
5月20日 イラク正式政府発足  
7月17日   サマワ駐留の陸自、撤兵完了。クウェート駐留の空自は活動継続・拡大
7月31日   空自のC130H輸送機がクウェートのアリ・アルサレム空軍基地からバグダッド国際空港へ多国籍軍の兵士等をはじめて輸送
9月26日   小泉首相辞任。安倍晋三首相就任
11月7日 米中間選挙で、ブッシュ政権の与党共和党が大敗し、野党民主党が大勝利を収める。イラク政策を支えてきた中心人物ラムズフェルド国防長官は更迭  
12月6日 韓国国防省、イラク駐留の韓国軍兵力派遣を1年間延長すると同時に、2007年末までに撤退させることを盛り込んだ派遣延長同意案を策定  
12月8日   日本政府、空自のイラク派兵を2007年7月31日まで再々延長することを閣議決定
12月15日   「防衛省法」(改正防衛庁設置法・改正自衛隊法など関連四法)成立
12月26日 フセイン大統領死刑確定  
12月30日 フセイン大統領死刑執行  
2007年年表目次へもどる
1月9日   防衛省発足。自衛隊海外派遣が「本来任務」に格上げ
1月10日 ブッシュ米大統領、全米向けテレビ演説で「過ちがあった点については、私に責任がある。戦略を変えなければならいないのは明らかだ」として、バグダッドを中心に21,500人増派する「イラク新戦略」を発表  
2月14日 イラクのマリキ首相、首都バグダッドと周辺の治安改善などを目指した大規模掃討作戦「法の執行作戦」開始を宣言。米軍とイラク治安部隊の計9万人を投入(イラク戦争後、最大規模の作戦)  
2月22日 安倍首相、来日中のチェイニー米副大統領との会談で「イラク復興と安定化に向けた米国の努力を支持する」「航空自衛隊の活動や政府開発援助(ODA)を通じてイラクを支える」と述べ、日米同盟関係を重視する姿勢を強調  
3月16日 米国防総省、イラクの治安回復作戦のために「ブラックホーク」「アパッチ」などの戦闘航空旅団2,600人を含む追加派遣最大計4,400人を発表。増派は3万人規模に  
3月30日   日本政府、7月末で期限切れとなるイラク特措法を2年間延長する改正法案を閣議決定
4月22日 イラク駐留米軍、宗派間抗争の沈静化を目的としてバグダッド市内の孤立スンニ派地区計5ヵ所に「防護壁」建設を開始  
5月25日 米国にお国会情報評議会(中央情報局・国防情報局など米国の全情報機関の情報を統合・分析している評議会)は、イラク戦争が始まる前の2003年1月、開戦すれば戦後のイラク社会は亀裂、宗派・民族間抗争が起き泥沼の状態につながることを事前に予測していた文書の機密を解除  
6月20日   「改正イラク特措法」成立。派兵期限を2009年7月末まで2年間延長
6月27日 ブレア英首相、辞任。ブラウン首相就任  
9月12日 安倍首相辞任表明  
9月26日 安倍首相辞任。福田康夫首相就任  
9月13日 ブッシュ米大統領、テレビ演説でイラク駐留米軍は「任務成功に応じて帰還する」として2008年7月までに現在の16万8千人から増派前の13万人規模に戻すことを表明  
11月28日   「イラク特措法廃止法案」(民主党提出)、参院本会議で可決(その後、衆院にて審議未了で廃案に)
12月16日 ブラウン英首相、イラク駐留英国軍は南部の要衝バスラ州の治安維持権限をイラク側に委譲。これにより、2003年以来、英軍が治安維持を担当していた南部4州すべてイラク当局に委譲される(委譲されていない州は全18州中9州)  
12月21日 国連児童基金(ユニセフ)、2007年に推計200万人のイラクの子どもが引き続き栄養失調、疾病、教育中断などの深刻な脅威に直面していると警告・報告  
2008年年表目次へもどる
1月9日 世界保健機関(WHO)、イラク戦争開戦からの3年間(2006年3月)に米軍の攻撃等で死亡したイラク人は推定で15万1千人に達したとする調査結果を発表  
1月17日 米紙ワシントン・ホストは、イラクで米軍主導の多国籍軍が2007年に実施した空爆は2006年度の6倍に達する1,447回(一日平均4回)であったと報告  
1月23日 米政府高官らを対象に調査報告をしている「センター・フォー・パブリック・インテグリティー」(本部ワシントン)は、911事件からイラク開戦まで1年半の間にブッシュ米大統領らの「フセイン政権の大量破壊兵器保有」虚偽発言を計935回繰り返したことを報告  
1月28日 ブッシュ米大統領、最後の一般教書演説でイラク問題に関し、2007年に実施した米軍3万人の「増派のおかげでりっぱに成果があがっている」と述べる  
2月5日 英国の国際戦略研究所(IISS)年次報告書『ミリタリー・バランス2008』でイラクの治安について依然不安定な状況が続いていると報告・指摘  
3月17日 英国のブラウン首相、同国のイラク参戦をめぐる問題点について、イラク撤退完了後に全面的な公式調査を行うことを約束(英紙インディペンデント)  
3月19日 ブッシュ米大統領、イラク戦争開戦5年にあたり「フセイン元大領領の追放は正しい決定だった。これは米国が勝たなければならない戦いだ」と演説で述べ、改めてイラク戦争の正当性を主張  
4月1日 3月一ヵ月間のイラク人犠牲者数は1,082人(うち925人は民間人)に達し、2007年9月以降で最多となる(AFP通信)。イラク情勢は一層不安定になる  

※2008年4月1日現在

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